たった一度の人生をかけがえないものにするには

今週のお題「2017年にやりたいこと」


先日、母校のOB野球大会で同級生と顔を合わせた時、「なんかこの前会ったばかりのような気がするな」なんてお互い言い合ったけれど、本当に1年が過ぎるのが早くなったように感じる。

大人になると、子供の頃よりも時間が進むのが早く感じるようになる。とある生物学者の一説によると、子供の頃は細胞の新陳代謝が早く、大人になるとそれが遅くなるけど、地球の回転周期から得られる24時間はいつも一定なので、その時計と比べると、自分の体内時計は遅れる一方となるため、実際の時間は早く感じてしまうようになるとのこと。
わかったようなわからないような話だけど、たぶんそうなのだろう。
あるいは、子供の頃はあらゆることが未経験で、いろんな出来事を新鮮に感じるけれど、年齢を重ねるにつれ経験や知識が蓄積されることで日常がルーチン化され、日々を漫然と過ごしてしまうことで早く感じるのかもしれない。

さて、2017年にやりたいことだけど、やっぱりツーリングかな。あと、昨年断念した星新一賞にも応募したいと思う。
僕がオートバイに乗って観光に赴くようになったのは、東浩紀さんの著書「弱いつながり 検索ワードを探す旅」の影響が大きい。

インターネットを通じて人は様々なことを知ることができるようになったけれど、インターネットが登場した20年前頃とは様相が変わってきていて、現在ではインターネット側がユーザーが欲しているであろう情報を予測して提供するようになってきている。

例えば、検索エンジンにワードを入れると予測ワードや検索結果にマッチした広告が出てくるわけだけど、あれはユーザー1人1人によって異なるわけで、人はインターネットで自分が見たいものを選んでいるつもりでも、実はインターネットによって選ばされている側面がある。「あなたはこういう人間だからこういう情報(欲望)が欲しいんでしょ?」といったように。そして、今後その精度の向上や傾向はますます強まっていくに違いない。

そして、インターネットは「強いつながり」を強化する。つまり元々仲の良い人たち、属性が同じ人たち、同じ価値観の人たち、同じ組織に属している人たちの結びつきを強くするツールなのだ。Facebookにしてもtwitterにしても気に入らない人間はどんどんブロックして、自分にとって都合の良い人間たちだけとつるむことができる。それは居心地の良い世界かもしれないけど、変化の無い世界でもある。予測可能な世界でもある。自分で選択しているつもりが、グーグルによって見たいものだけを、選びたいものだけを選ばされ続ける人生になってしまいかねない。
人は環境に規定される生き物だから、強いつながりの中にだけ居続けると、その環境の枠組みの外にあるような考えや価値観が存在することすら認識できなくなってしまう。強いつながりの中で自分の頭だけでひたすら考えていても新たな検索ワードは出てこない。ではインターネットの提示する予測を裏切るにはどうすればよいのか。メディアや他者が作り上げた欲望ではなく、自分の欲望を見つけるにはどうすればよいのか。

一度しかない人生をかけがえのないものにするには「弱いつながり」が不可欠だと著者は語る。つまり自分の行ったことのない場所に実際に足を運んでみるということだ。意図的に不確定な環境に身を委ねてみることだ。そこには自分のことをあまり知らない人がいて、そういう人たちが思いもよらないようなアドバイスをくれたりするかもしれない。強いつながりの中では自分のことをよく知っている人たちばかりだから現実的な予測可能なことしか言ってくれない。

でも「弱いつながり」だけで生きていくのもあまり現実的ではない。人はずっと共同体の中で承認されることで生きてきた生き物だからだ。最近、ブログ界隈でとある新卒フリーランサーがキャンピングカーでの車上生活を挫折し、ずいぶん話題となった。やはり「職業は旅人」は面白そうだけど、きつい。ずっとは出来ない。

「強いつながり」だけだと人生はどんどん予測可能で規定されたものになっていく。一方で「弱いつながり」だけだと持続可能性がない。

したがって「強いつながり」に「弱いつながり」を取り入れるのが最も現実的といえる。すなわち「観光」である。環境を変えるというと、つい移住みたいな話になってしまいがちだけど、移住では、別の「強いつながり」に属するだけだ。つまるところ「生きる」とは生活を継続することに他ならないのだから、最も持続可能なのは、なんらかの共同体に所属しつつ、つかの間に旅に出る「観光」ということになる。

正直、かけがえのない人生なんて幻想なんじゃないかという気がしないでもない。一方で、どんな生き方をしようとも、かけがえのない人生だと主張する人もいるだろう。
それでも僕は2017年もオートバイで観光に出向いていきたいと思う。

イップスの思い出

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先日、母校でOB野球大会が行われたので、参加させてもらった。寒空の下、およそ50人ほど集まっただろうか。懐かしい顔もあった。

高校時代は硬式野球部に所属していた。引退してもう10年以上の歳月が経つ。当時の顧問も変わり、ユニフォームのデザインも変わった。それでもグラウンドに立ってみると、練習にあけくれた日々を思い出す。僕がまだ現役の頃は、このようなOB戦が開催されることは考えにくいことだった。現在の顧問の出身が母校だからということもあるのだろう。体育会系の部活にありがちな殺伐とした雰囲気はあまりなく、若い子たちはのびのびと野球をしているように感じた。

記事の題名である「イップスの思い出」だけれど、僕はこの高校野球時代にイップスになってしまったことがある。イップスというのは精神的な原因などによりスポーツの動作に支障をきたし、自分の思い通りのプレーができなくなる運動障害のことで、野球では投手や内野手に生じやすく、野球に限らず、ゴルフのパッティングなどでもよく見られる症状だという。

僕の場合は、朝練習時のフリーバッティングの打撃投手をするときにこの症状が現れた。当時、打撃投手は1年生が勤め、上級生が主に打撃練習をするというものだった。
かつて甲子園を席巻したPL学園では、「3年神様、2年平民、1年奴隷」と言われているほど、上下関係が厳しいものであったようだけれど、甲子園なんて夢のまた夢の弱小公立高校でもそれに近い序列はあった。入学したばかりの1年生にとって3年生とはそれほど怖ろしい存在で、打ちやすいところに投げれなかったらどうしよう。そんなことで頭がいっぱいだった。思うところにボールが投げられない。焦りと緊張でボールを握る手に汗が止まらない。だけど投げないといけない。奴隷の投げるボールが神様に直撃した瞬間だった。それ以来打撃投手をすると、投げるボール全てが打者の立っているの方向にすっぽ抜けるようになった。自分でも不思議で仕方がなかった。キャッチボールや守備練習での送球時には狙ったところにボールが投げられるのに、打者が立つとまるっきり投げられなくなってしまったのだから。見かねた同級生が代わって投げてくれたこともしばしばだった。

プロの選手でもこの症状になってしまう人が少なくないという。最近では、高校時代に春夏連覇の快挙を成し遂げた島袋洋奨投手がイップスによる制球難に苦しんでいたり、ヤクルトの森岡良介内野手はキャッチボールすらままならなくなり引退を決断したということがあった。今年のドラフトの目玉となった田中正義投手もイップスの傾向が見られると囁かれているという。一度イップスになってしまうと、克服するのは非常に難しいと言われているので複雑な気持ちになる。


当時はイップスなんていう言葉は知らなかったけれど、今振り返ってみると、あれは間違いなくイップスだったよな、なんて思っている。
日頃の運動不足が祟って、走る、投げる、捕る、打つ、全てが体に響く。
背中に死球くらったり(幸い試合は軟式球で行われた)、クロスプレーで膝をえぐられたりして、少々痛い思いもしたけど、久々に野球ができて楽しかった。来年は怪我に気をつけていこう。

日本一周への憧憬

「日本をゆっくり走ってみたよ」という、漫画を読んだ。2巻で完結。36歳独身の漫画家が連載作品が終了して時間が空いたので日本一周バイクの旅に出るというお話。愛車はスズキのジェベル。日本一周の旅をする動機が、4年前に仲良くなったものの故郷に帰ってしまった憧れの女の子に再開するためというもので、いかにも愚直で不器用な男という印象に好感が持てた。タフな男になるために日本一周して、その女の子の住む宇都宮で告白するという過程を描いた実話の旅日記である。
以前から「いつかはオートバイで日本一周」とぼんやり思っていたけれど、この漫画を読んで、より日本一周への想いが増したように感じる。

日本一周に挑戦するにあたって、一番の障壁となるのはやはり「仕事」ではないだろうか。日本一周となると1週間や2週間程度の休暇では厳しい。2~3か月くらいはみたいところだ。当然そんなに会社を休めるはずがない。他の会社はどうだか分からないけれど、少なくとも僕の勤めているところではそうだ。どう考えたって厳しい。2か月どころか、2週間だって怪しい。となると、日本一周を達成するためには今の仕事を辞めることが前提となる。僕は再就職に有利な経験やスキルや資格を持っているわけでもないし、年齢だけで採用してもらえるほど若くもない。つまり、日本一周に挑戦するということは、今手にしている経済的基盤を失うことを意味している。生きていくためには言うまでもなくお金がかかるのだ。

では、定年になるまで待つのかというとそれこそ日本一周なんて生涯できないのではないか、という気がする。定年が70歳、あるいは75歳にまで延長されると囁かれている昨今、その年齢に達してからオートバイで日本一周の旅に出るというのはあまりに非現実的だ。そこまで長生きできるかどうかも分からないし、長生きできたとしても今のように健康体であるとも限りない。

ただ、幸いと言っていいのかわからないけれど、僕には扶養家族がいないので、家族がいる人に比べるとまだ挑戦しやすい環境にあるのかもしれない。もし養うべき家族がいようものならオートバイで日本一周など口に出すことすら憚られるだろう。「仕事まで辞めて日本一周なんかして何の意味があるの?」おそらくそんな風なことを言われて終わりだ。事故におけるリスクを考えると日本一周どころか、オートバイ自体降りてくれとまで言われかねない。守るべき人間がいる人間の宿命だろう。僕には守るべき人がいない。故に失うものもない。仕事くらいだ。僕が日本一周に挑戦したとして、結果どんな事態を招いたとしても困るのは僕自身だけだ。基本的にそういう身分でしか挑戦できない代物だろう。この漫画の主人公、吉本浩二先生のように。

自分でも馬鹿げたことを考えていると思う。なぜ日本一周に憧れているのだろうか。主人公のように日本一周をすることによる精神的な成長のようなものを欲しているわけじゃないけど、たった一度しかない有限な人生、日本に住んでいながら、日本の景色のほとんどを知らずに死んでいくのは、もったいない気がする。あるいは胸を張って「これを達成した」と言えるものが欲しいのかもしれない。きっと誰もが経験することではないだろうから。だから、もし本当に日本一周を達成できたとしたら、僕の人生、それでもう概ね満足という感はある。たとえその先に冷遇が待ち受けていたとしても。

ただいずれにせよ今は時季が悪い。寒い。寒すぎる。それに仕事も今すぐ辞めるというわけにもいかない。他にもバイクで日本一周に関する書籍があるようなので、いろいろ情報を集めながら妄想を膨らませたりして、本当に決心するその日まで心の拠り所にしていこうと思う。

2017年の個人的注目バイク

現在、僕はVTRに乗っていて、このオートバイには概ね満足しているわけだけれど、それでも他のオートバイに興味が無いかと言ったら嘘になる。乗ってみたいバイクはたくさんある。

2017年には様々な新型バイクが出るらしい。中でも特に気になっているのがホンダのレブルである。全く毛色の違うCBR250RRも刺激的そうで気にはなってはいるのだけれどあまり肩肘張らずに乗れるのはレブルのほうかな、なんて思っている。

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写真引用元:Honda Moto 2017


レブルは日本では生産終了となっていたが、米国では根強く支持され続け、2017年モデルでフルモデルチェンジされることが11月に発表された。
CB500系のエンジンをベースにした水冷並列二気筒のレブル500とCBR300系の水冷単気筒のレブル300がまず米国で発売され、日本向けにはレブル500とCBR250Rベースのエンジンでレブル250の発売が計画されているそうな。
レブル300(250)はフレームやスタイリング、タイヤの太さなどどがレブル500と共通らしく、外観としてはレブル300(250)の方がエンジンまわりの隙間が多い印象。

特徴的な造形のスリムなタンク。丸目ライトのレトロな雰囲気。硬質感のあるシンプルなデザイン。マットシルバーメタリック。渋すぎる。ヤマハのB〇LTに少し似ている、気がしないでもない。
新型レブルに惹かれたのはなんといってもライディングポジション。アメリカンスタイルのバイクはふんぞり返って足を前に突き出すようなポジションになる車体が多いけれど、新型レブルは足置きが中央付近にあって操作しやすそうに感じた。

250ccか500ccのどちらにするかという話になると、購入するとすれば250ccの方を今のところ考えている。
もっと排気量の大きいバイクは選択肢にないの?といった声も、もしかしたらあるのかもしれない。僕の場合、ツーリングに限らず毎日の通勤に使用するのが大前提なので、軽量で取り回しが容易であることは欠かせない。となると、やはり選択肢はこのクラスになってくる。

レブル250の馬力や燃費などの細かな仕様はまだ発表されていないけど、約11リットルのタンク容量と燃費から連続航続距離を考えると、やはり選ぶとしたらレブル250かな。1つ懸念があるとすればハンドルが遠そうってこと。ただこればかりは実際に自分で直接見て跨ってみないとなんとも言えないので、2017年はそれを楽しみにして生きていくことにしよう。そうしよう。

iPhone7 Plusを購入した理由

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iPhone6のローンが終わったので、下取りに出してiPhone7プラスに機種変更した。色は艶のないブラック。ジェットじゃない方の黒である。メモリー容量は128GB。ショップに在庫がなかったので予約での注文になった。
iPhoneシリーズはiPhone4の頃から使っていて、それをiPhone5iPhone6と新しいシリーズが出るたびに乗り継いできたわけだけど、これといったこだわりもなくiOSを使い慣れているからというか、正直惰性で機種変更してきた感はあった。しかし今回の7シリーズに関しては機能的な期待という理由もあって購入に至った。細かなスペック等は書く元気がないので、Appleのホームページを参照願います。
www.apple.com


耐塵・耐水機能

携帯電話をツーリングの時にナビ代わりに使うので、急な悪天候にも対応できる耐水はありがたい。耐水は入浴時の読書にも役立っている。



カメラ

iPhone7ではなく、あえて7Plusを選択した最大の理由はこれかもしれない。
iPhone7Plusには、メインカメラとして、それぞれ1200万画素の2基のカメラが搭載されており、広角カメラと望遠カメラの組み合わせにより、2倍の光学ズームと、最大10倍のデジタルズームに対応している。これはiPhone7や以前使っていたiPhone6にも搭載されていない機能だ。光学式手ぶれ補正のほか、広色域キャプチャなどの機能も搭載されている。旅先ではこのiPhone7Plusでたくさん写真をとっていきたい。


バッテリー駆動時間

前機種と比べて一番実感したのが、バッテリーの持ちの良さかもしれない。これもiPhone7ではなく7Plusを選択した理由の一つである。電池の残量を常に気にしなくてはならない状態は意外とストレスになるので、バッテリー容量が増えたのは地味かもしれないけれどかなり嬉しい。



大きさについて

iPhone7Plusを購入するにあたって一番の懸念はそのサイズだった。
iPhone6シリーズから大きめの5.5インチサイズがiPhone6Plsuとして出てきたわけだけれど、これが登場した当初は大きすぎて使いずらい、4.7インチサイズにしとけばよかったと後悔しているといった声が続出した。手に持ってみると確かに大きさを感じる。僕はあまり手が大きくないので、片手だと画面左端に指が届かないのだけれど、両手を使ったり手をスライドさせれば左端にも届くので、今のところそこまで不便だという感じはしない。大きくてディスプレイの解像度も高いのでネットブラウジング電子書籍を読んだりするのはすごく快適。ホームボタンの感触も嫌いじゃない。


その他

機種変更に伴って、5GBの通信量制限プランを20GBのプランに変更した。20GBでは、1ヶ月あたり約90時間の動画閲覧が可能で、音楽ファイルなら1ヶ月5000曲ほどダウンロード可能だという。これ、従来のデータ定額プランだと16000円かかる。それがプラス1000円で容量を気にすることなく、思う存分にネットライフが満喫できるのだから利用しない手は無い。
7シリーズでの売りだったワイヤレスイヤホンが別売りなのは少し残念だった。ツーリング時のナビ音声が風を切る音で全然聞こえないので、活用できると思ったのだけれど、ワイヤレスイヤホンは付属されていない。別途購入ということになると「ワイヤレスイヤホン・・・いるか?いや、いいか」という複雑な心境になる。なかなかの値段がするのだ。なんか紛失しそうだし。ただ、通常のケーブル付型のイヤホンは付属されている。

ようやく機種代金を支払い終わったと思ったら、支払い終わったタイミングで新機種を購入してしまう。
iPhoneローン地獄の幕開けである。


AirPods with Charging Case

AirPods with Charging Case

漢検2級を受験してみた

11月に受験した漢字検定2級の結果通知が来た。
日本漢字能力検定。初めての受験である。
結果から書くと合格していた。200点満点中155点までが合格点なのだけれど、157点で合格していた。
受かったけどギリギリ。通知が届く前に軽く自己採点した感じだと不合格かな、と思っていたので運が良かったということにしておくとする。今受けたらたぶん落ちるだろうな。
ギリギリだけど一応合格できたので、とりあえず受験体験記のようなものを書いてみたいと思う。

そもそもなぜ漢字検定を受けたのか

漢検のホームページを見ると「就職活動における言語力や一般常識の指標になる」とか「大学入試における評価の対象になる」といったメリットが挙げられているけれど、今更学校に行くわけでもないし、履歴書の空欄を埋めるために漢検2級を受けるには僕は年を取りすぎている。では、なぜ受験したかというとブログを書くのに少しでも語彙を充実させたかったからというのがある。絵を描いたり写真をのせたりすることがメインのブログもあるけれど、グーグルの検索窓なども言葉に依存しているように、ブログならではの表現の主流はやはり言葉によって紡がれる表現なのかな、という気がする。「書き残そう、あなたの人生の物語」というはてなブログのキャッチコピーにはとても共感できる。でも、どんなに人に伝えたいと思っても、適切な言葉を知らなければ的確に表現することはできない。
漢字を勉強すると語彙が豊富になるのかというと正直、はっきりとしたことは言えない。本当は読書をした方がいいのかもしれない。ただ、勉強してみて分かったことは、漢字の形だけを知っていても、その漢字の持つ意味を知らないと書けないということである。例えば、「対義語・類義語」や「同音・同訓異字」などの問題は漢字の形とその漢字の持つ意味が連動していなければ解けない。そういう意味では漢字を勉強することが語彙増加に全く無関係とも言い切れないのではないだろうか。
それに社会人になってからというもの、机に向かって問題を解くといった試験的なものからずいぶんと遠ざかっていたので良い刺激にもなった。試験会場に訪れて驚かされたのが、非常に幅広い年齢層の人が受験しているということ。若い学生もいれば、僕のようなアラサー、主婦らしき女性、ご老人など、運転免許更新会場の如く多様な人が生涯学習の一環として漢検を受験をしていた。

なぜ2級なのか

ちなみに2級がどのくらいのレベルなのかというと高校卒業・大学・一般程度を対象としており、「すべての常用漢字(2136文字)を理解し、文章の中で適切に使えるか」というのが2級で問われているレベルである。高校卒業までに習う漢字は全て網羅されており、今の自分のレベルから推し量って、最も簡単すぎず難しすぎないのが2級くらいかな、と判断した。
準1級の問題集もパラパラっと軽く見てみたけれど、仕事が終わってからの勉強では合格するのに半年から1年ほどはかかると感じた。さすがにそれだけ勉強を継続させる気力はないので2級を選択した。


勉強期間および勉強方法

勉強期間はおよそ、1カ月ほどだろうか。ただこの1カ月というのは、全く勉強しない日もあれば、1日に1時間だけやったり、休日には5時間まとめてやったりと、かなり適当だったのであまり参考にならないかもしれない。
使用したテキストはこの一冊のみ。

赤チェックシート付 一問一答!漢字検定2級 [完全版]

赤チェックシート付 一問一答!漢字検定2級 [完全版]

完全版というだけあって問題量が豊富で、赤いシートで解答が消えるようになっている。書いて覚えるのが王道なのかもしれないけれど、僕は漢検2級を勉強するにあたって全く書かなかった。書くのが面倒だったからというのもあるけれど、手を動かして書いていると書くことそのものに満足してしまいがちであまり効率的ではない気がした。問題集で分からない問題が出てきたときは、解答を見て、赤いシートで解答を消して、頭の中でその漢字を書いて覚えた。前日にまとめて勉強するつもりが、体調不良で寝込んでいたため、結局すべての問題を網羅できないまま受験することになった。グダグダだった。どうしても勉強時間を上手く捻出できない場合は、「書き取り」など配点の大きいところを重点的に勉強し、配点の小さいところはあまり力を入れないというのも手かもしれない。
今回の二級の合格率は19.9%だったらしい。5人に1人くらいしか合格できないという計算になるけれど、2級が難しい検定かというとそういうわけでもないと思う。おそらく時間をかけて勉強すればほとんどの人が合格できるのではないだろうか。5人のうちの4人の中にはほとんど勉強しなかった人や、そもそも試験会場に来ていない人も含まれているはずだ。一見、それほど苦もなく合格できそうなんだけど、全く勉強せずに合格できるかというとそういうわけでもない。それが2級の難易度の対する印象だった。ぶっちゃけ合格したからって大したメリットは無い。ほとんど自己満足に近い。勉強するモチベーションを維持し続けることができるかどうかが、この検定に合格できるかどうかのポイントではないだろうか。
準1級はどうだろう。挑戦してみたい気持ちとめんどくさい気持ちが拮抗している。

「俺はまだ本気出してないだけ」が面白かった

俺はまだ本気出してないだけ 1 (IKKI COMICS)

俺はまだ本気出してないだけ 1 (IKKI COMICS)

「俺はまだ本気出してないだけ」という漫画が面白かったので紹介したい。

主人公は40歳になる中年バツイチの「大黒シズオ」。父親と17歳の娘と同居している。シズオはある日突然、15年間勤めてきた会社を辞め、無職になる。そして、漫画家になるという夢を見つける。
以前から温めていた一大決心の夢ではなく、自分探しのためになんとなく会社をやめて、なんとなく漫画家になることを目指してしまう。朝からゲーム三昧だったり、娘からお金借りたり、根拠のない自信に溢れていたり、こう、なんというか一言であらわすなら「ダメ人間」の物語である。

ファーストフード店で若者に混ざってアルバイトをしながら、漫画を描くという生活を送り、漫画を出版社に持ち込み続けるもボツの嵐。
いい年して何やってんだ。年頃の娘もいるんだし、さっさと定職について漫画は仕事としてではなく趣味で書けよ。将来どうすんだよ。というのが大方の人の抱く印象ではないだろうか。事実、シズオは同じようなことを常に父親から、時には若者から、時には編集者から言われ、自分でも人並みに落ち込んだり、自問自答したりする。だが、シズオは漫画家を目指すことを諦めない。本気なのだ。
現実味が無いようで、ものすごくリアルであり、コミカルなようで涙もある。画風がゆるい物語にマッチしている。

そういえば以前、読んで紹介した漫画の主人公も漫画家志望のおっさんだ。
漫画家志望のおっさんに惹かれているとでもいうのだろうか。知らず知らずのうちに、おっさんと呼ばれる年齢になってしまった自分を重ねているのかもしれない。10代、20代の若者が夢に生きるのはいたって自然だ。失敗してもまだ取り返しがつく。それを40、50過ぎたおっさんが退路を断って目指すからこそ面白い。
登場人物の頭上には(42)とか(17)という感じで年齢を表示するような描写が多数みられる。
これは日本には「年齢相応」という名の同調圧力があるからではないだろうか。例えば転職は35歳までにすること、結婚は30歳までにすることといったように「○○歳の人は、××でなければならない」といった風潮がごまんとある。これは日本以外の国ではあまり見られない傾向らしい。欧米では、履歴書に年齢を記入する欄がなく、年齢を尋ねることは法律で禁止されている。だが日本では年齢によって採否を決定する年齢差別は根強く残っている。

こうした、年齢を基準にしてその基準に合致しない人を異端者扱いする傾向は、今年の芥川賞受賞作である「コンビニ人間」にも通ずるところがある。主人公の古倉恵子は、大学卒業後もずっとコンビニバイトを続ける36歳独身の女性。恋愛経験もない。幼い頃から「普通」が分からず、大人になっても結婚や出産の意味がさっぱり分からない。誰にも迷惑かけず真摯に働いて生活しているはずなのに、「なぜ結婚しないのか」「なぜ就職もせずコンビニ店員なのか」「なぜ健康なのにずっとアルバイトなのか」と「普通」であることに執拗にこだわり「普通」を押し付けようとする周囲の人間のグロテスクさが描かれている。
「コンビニ人間」の累計発行部数は50万部を超えたというが、これは読者数のパイが小さい純文学の発行部数としては異例の数字であり、読みやすい文体というのもあるのだろうが、それだけ日本社会の村社会的な同調圧力に息苦しさを感じている人も多いのかもしれない。
確かに、適齢期というものがある分野もあるだろう。例えば、シビアな能力が要求されるスポーツの分野などであれば、「40歳で始めるには遅すぎる」、という話にもなるのかもしれない。

40代の子持ちの中年が会社を辞めて、漫画家を目指すことが本当に良いことなのか悪いことなのか正直わからない。ただ本来、人にはそんな選択だってあるはずなのに、社会的にはそうした選択肢は存在してはならないも同然となってしまっている。未来のことは誰にもわからないはずなのに。漫画家として大成功すれば、会社を辞めて正解だったってことになるのだろうし、もしかしたらそのまま芽が出ずに、娘や父親、友人からも愛想を尽かされ、果てしの無い孤独に落ち込んでしまうといったことになるのかもしれない。シズオの親友の宮田のように、良い家庭を築きたくてサラリーマンとして頑張り、優しく家族に接していても、家族が去ってしまうこともある。
シズオのようなダメ人間を結果論で肯定も否定もせず、その生き様だけがコミカルに描かれている。そんな漫画である。