オートバイの魅力

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お題「好きな乗り物」

一言でバイクの魅力と言ってもファッションとして楽しむ人もいれば、自己表現として楽しむ人もいるでしょうし、所有欲を満たしてくれたり、磨いたりメンテナンスするのが楽しかったりする人、あるいは通勤の足として利用しているだけの人もいるかもしれませんが、いろんな楽しみ方があると思います。

僕がなぜバイクに乗るのかと言えば、それはやはりバイクに乗って走る事そのものが楽しいからなんです。

バンクさせてカーブを曲がる感覚であったりとか、エンジンから伝わる音や振動であったり、肌で四季の変化を感じながら景色を眺めたり、ただ操作して走っているだけで楽しい。バイクに乗るとストレスが緩和されメンタルヘルスに良い影響を与えるなんていう研究結果もあるみたいです。

バイクって乗る事そのものが楽しいから乗る理由を探して乗ってしまう乗り物で、目的地に行くために乗るというよりは、バイクに乗るために目的地に行くって感覚なんです。ただ、目的地に行くだけなら、四輪車でいいし、電車やバスでもいい。自転車なら健康にもいいかもしれない。逆にバイクに乗らない理由ならいくらでもあります。四輪車に比べて事故による危険は大きいし、雨には濡れてしまうし、風には煽られるし、強い日差しにもさらされてしまう。ツーリングでは目的地で蕎麦を食べたり、温泉に入ったりするけど、ただ蕎麦を食べたり温泉に入ったりするだけならわざわざバイクで遠出する必要もない。バイクで走るための理由として蕎麦を食べにいったり、温泉に入りに行ったりしてるだけで、蕎麦が本当に美味しいかどうかなんてあまり重要じゃないんですね。走るのが好きだから乗るための理由を探してしまうんです。先ほど挙げたバイクの快適でない部分も時には刺激的だったりします。

もしかしたらバイクに乗るのは好きな人に会いに行くことに似ているかもしれません。好きな人ができると、特に要は無いけど話したりしたいし、出来るだけ一緒にいたい。ただ会う理由を作りたい。そのために正直あまり興味がない映画のチケットをわざわざ取って誘ってみたり、水族館やレストランに誘ってみたりする。そのレストランに行きたくて行きたくて仕方がないかって言ったら全然そんなことはなくて、それが美味しいかどうかなんてそれほど重要じゃなかったりする。ただ、そこで二人で一緒に時間を共有するってことが楽しかったり、嬉しかったりする。好きだからただ一緒にいたい。

バイクに乗るのもそれと同じなんです。好きな人と一緒にいるための理由を探すように、バイクで走るための理由を探してしまう。好きな人と一緒にいることそのものが楽しいように、走ることそのものが楽しいんですね。

なんでこんなことを書いているかというと、最近、失恋をしたからです。僕にはずっと好きな人がいて、その人といろんなところにデートに行ったりしていたのですが、その人にとって重要なのはいつでも、「目的地に行くこと」でした。つまり蕎麦を食べることであり、温泉に入ることであり、水族館や動物園に行くことのようでした。それが僕には途方もなく悲しかったのです。僕はただその人と一緒にいられれば幸せで、僕にしてみれば行先なんてほとんどどうでもいいことでした。
どうでもいいと言ったら語弊があるのかもしれませんが、僕にとっての優先順位はその人と一緒に楽しい時間を共有することであり、そのほかのことは二の次でした。でも彼女はそうではなかった。一緒にいるとき僕はいつもそこに深い溝というか温度差、隔たりのようなものを感じて、その距離間は最後まで縮まることはありませんでした。自分の気持ちに整理をつけるために想いは告げましたが、結局彼女からの返事は何もなく、僕の目の前から風のように消え去ってしまいました。きっともう二度と会うことは無いのだと思います。連絡を取り合うこともないでしょう。いったい彼女にとって僕という存在はなんだったのだろうか。ただ利用されていただけだったのだろうか。1つ確実に言えるのは僕は拒絶されてしまったのだということ。あれだけたくさんの時間を過ごしたはずなのに、あまり彼女の笑った顔を思い出すことはできなくて、ただ悲しみだけが残った。

こんな、どこまでも遠くへ行きたい気分の時にもバイクは寄り添ってくれます。バイクに乗って走りたい。誰もいない静かな場所に向かって。
悲しい記憶を風化してくれるはずだから。



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