バイク乗りのバイブルを読んでみた

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バイク乗りのバイブルと呼ばれている漫画、「キリン」を読んでみた。やや時代を感じるものの、特に1~4巻の「POINT OF NO RETURN!」編は今読んでも面白い。

キリン 1 (ヤングキングコミックス)

キリン 1 (ヤングキングコミックス)


POINT OF NO RETURNとはその時点を超えると、どのような努力を行ったとしても元の状態に戻ることができないとされる時点のことである。
速さの中でしか生を実感できない38歳の男、キリンが主人公。彼の本名が作中に登場することはない。なぜキリンはキリンと呼ばれているのか。それは彼がバイク乗りだからである。なぜバイク乗りは「キリン」なのか。

弱肉強食の自然界において、ライオンに子供を襲われ、奪われてしまっても母親キリンは何もできない。
それと同様に、車中心の社会の中で、剥き出しの生身のままアスファルトの上を疾走するバイク乗りは、非常に弱々しい存在である。車からのちょっとした悪意で、簡単に命を落としてしまう。
キリンは子供をライオンに奪われても泣くこともない。自身の無力さを嘆いても仕方ないからだ。キリンがそれでも生きていくのと同じように、バイク乗りも、人がなんと言おうと無力な立場を受け入れてバイクに乗り続ける。だから彼は自分をキリンと名乗っているのである。

キリンは、過去にポルシェ911とのバトルの結果大事故に遭って生死を彷徨うが、それでもバイクを捨てられず、妻子にも逃げられてしまう。
キリンは、ある日仕事先で知り合った、橋本という男がポルシェパラノイアであることを知り、彼に東京から浜松までの公道レースを同意させる。(キリン曰く、同じ車でもポルシェは誰にでも速く走らせることができるわけじゃないから、ポルシェはバイクに近いのだとか。)そしてキリンは、スピードに賭けた青春に落とし前をつけるために、再び愛車カタナを駆り、宿敵911と対決する。

作中ではバイク乗りのことを「こちら側」、バイクを降りてしまった人たちを「向こう側」と表現している。「向こう側」とは良くも悪くも賢くなって大人になってしまった人たちのことだろう。車とバイク、どちらが速いか。こんな一文の得にもならないことに命を張ることにいったい何の意味があるのか。それが普通の感覚で、向こう側の人にとってはこんな対決は全く理解不能だろう。人は確実に老いていくし、いつまでも無意味にスピードやスリルに命を張れるわけじゃない。もう若い自分には戻れない。 そんな哀しい自覚に、キリンは戦慄し、読んでいて切なくなる。勝ったところで利益や賞賛があるわけでもない。それでもポルシェとの対決にこだわる姿はさながら求道者である。

また、キリンがこだわる「スピード」というのも単純にメーターに示す速度表示ではない。
カタナよりもスピードの出る性能の良いマシンはいくらでもあるのに、キリンがあえてカタナにこだわるのは外に向かう速さではなく、内に向かう速さを求めるようになったからだという。

スピードが何キロ出たとか、何秒で走れたかなどは対外的な速い遅いの目安でしかない。世の中にはバイク以上にスピードの出る乗り物いくらでもあるのだぞ。
内に向かうスピードとは、剥き出しの体が恐怖を覚えた先にあるものだ。例えそれが30キロに満たなくてもだ!

クルマは子宮(ウルテス)的願望であり誰もが安らぐ母の子宮なのだ バイクは剥き出しのファルス(男根)的象徴である

こんな感じの台詞がたくさん出てきて、キリンという漫画は、やっていることは公道レースだけれど、バイクに乗ることそのものに対して非常に強いこだわりを感じるというか、内向的というか、内的世界の充実した作品となっていて、この作品がバイク乗りのバイブルと呼ばれている理由がわかったような気がした。


バイク乗りは知っている…誰にでも優しい奴は平等に誰にも
優しくはなかった。それでも優しくありたいと願うことを止めなかった


「POINT OF NO RETURN!」編は実写化もされている。

キリン POINT OF NO-RETURN!

キリン POINT OF NO-RETURN!